文字っぽいの。

文字を書いています。写真も混ざります。

自分にとって簡単な仕事が、他人にとっても簡単とは限らないという話。

半年ぐらい前、弟が使わなくなったパソコンを譲り受ける為にレンタカーを走らせている時、こういった相談を受けた。

「自分なんかが回せる仕事なんだから、他の人でも簡単にできると思っていたのに上手くできないことが多い。その人が無能だとは思わないのだけど、なぜなんだろうか。」

非常にわかる。自分も昔は同じような考え方をしていた。謙遜ではなく自己評価が低い人間なので「凡人である自分なんかでもできる仕事」は「誰でもできる仕事」なのだと考えていた。しかし、こういった考えは一方で正しく、一方で間違っているのだ。

あまり好きな概念ではないが、人には必ず向き不向きがある。身体が大きければバレー・バスケ・柔道部にスカウトされ、勉強ができれば「将来は学者さんかしら」と言われるような*1世間で育ってきた人からすると、多くの向き不向きは分かりやすい先天的差異に起因すると考えがちである。他にも、性格やコミュニケーション能力から「営業向き」とか「職人向き」と言われたことも多いだろう。こういった向き不向きという言葉の使い方を自分はあまり好かないのだけど、現実問題としてはもっと小さく向き不向きが遍在している。

例えば、ITエンジニアには1日中パソコンをいじっていることが苦痛だと感じない人が多い(多かった)と思う。もちろん目や腰が疲れることはあるが、そういった要因を除けば非常にストレスは少ないだろう。この時点ですでにITエンジニアとして「向いている」のである。「そんなに小さなことで?」と思うかもしれないが、こういった小さな向き不向きが積み重なることで大きな個性を生んでいる。他にもキーボードでのタイピングや文字ベースでのコミュニケーションが苦痛ではないとか、日本語ではないWebサイトを見た時にすぐに諦めてブラウザバックしなかったり、検索(GoogleでもTwitterでもInstagramでも)で適切なクエリを組み立てて望みの情報を引き出せるというのも「向いている」特徴だと思う。これらは「リテラシーが高い」と言い換えることもできるだろう。「自分には簡単に思える仕事が、実は他人には難しい」という事象は、この向き不向きに起因していると考えている。

とても雑な例を示そう。電話をかけることが苦手な "電話苦手くん" と、特に何も感じず電話ができる "電話普通くん" がいる。ここで後者の "電話普通くん" から "電話苦手くん" へ「今度パーティやるから、この5つの会場候補に電話して会場あいてるかと予算どのくらいか聞いておいて」という仕事が依頼されたとする。 "電話普通くん" からすると「5箇所に電話してまとめれば良いだけ」の非常に簡単な仕事である。

さて "電話苦手くん" にとっては、これは非常に気が重い仕事になる。予め聞きたいことをメモにまとめて、深呼吸して覚悟を決めてから電話をかける必要がある。コールの間なんども会話内容を脳内でシミュレートして、留守番電話だったり通話中だったりすると安心するぐらいにはビクビクだ。そして、とにかく電話は嫌なのでWeb上でひたすら調べて情報を集めることになる。それが古い個人ブログ記事だったとしても、電話一本かけて数分で終わる調査だったとしてもだ。こうなると途端に仕事は遅くなる。遅くても1時間もしたらまとめ終わるはずが、数時間経っても報告が来ない。 "電話普通くん" からすると「5回電話をかけるだけの誰にでもできる簡単な仕事なのにどうしたんだ?」となる。

この例は分かりやすさの為に極端にしたが、こういった向き不向きの細かい差異は実にたくさんあることに気がつくと思う。ある仕事が苦ではないというのは、非常に大きな才能のひとつだ。このことは、任天堂元代表取締役社長 岩田 聡 氏も下記のように話している。

自分の労力の割に周りの人がすごくありがたがってくれたり,喜んでくれたりすることってあるじゃないですか。要するにね,「それがその人の得意な仕事なんだ」って話で。逆に,自分的にはすごい努力して,達成感もたっぷりあるのに,周りからは「はあ?」みたいに思われることもあって。それはね,本人が好きだったとしても,実は不得意なことかもしれないんですよ。

任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」

引用文中の言葉を借りると『得意な仕事』をしているとき、自分目線ではとても楽に感じるため、誰でもできる簡単な仕事をしていると思い込んでしまう。しかし、例えば同じ仕事をA君に依頼したときに、なぜかスムーズに完遂できず、「どうしてこんなこともできないんだろう?」と悩むことになる。このとき、その仕事がA君に「向いてない」と考える前に、自分が「向いている」だけかもしれないと意識することが重要だ。向いている仕事は低コストで高パフォーマンスを得ることができる。そのため、誰でもできる簡単な仕事だと錯覚してしまう。しかし多くの場合では、A君が「向いてない」ということはなく、単純に経験や知識が不足していたり、指示や指導が足りてないということのほうが多い。そういった原因を潰してから最後に「向いてないのかもしれない」と考えるべきだ。

ここまで長々と書いてきたが、結論として伝えたかったのは「自分が簡単だと思っている仕事が、実は他人にとっては簡単ではないかもしれないことを留意すべき。」ということである。もちろん、「自分にしかできない仕事だ」という自惚れを持ってはいけない。向き不向きという観点でその仕事に向いてる人は多く存在しており、その中で才能や努力の多寡による優劣は存在していて、別軸の話だからだ。自信を持つのは良い。自分にとっては特別ではない才能で他人に喜んでもらえるという体験によって、自己評価を高めていくことは非常に重要である。

ちなみに、別の話になるけども「自分は向いていない」と思いこんでいた領域でも「実は向いている」ということがよくある。「人と話すのは苦手だけど、新人教育は得意」という人がいる。一見矛盾しているが、雑談のような高速で高度なコミュニケーションは苦手だけど、しっかりと資料をまとめて話したり、1on1などでテーマを決めて話して悩み・特性をヒアリングするのは得意とかよくある話。人間は自分で自分を正しく分析することが苦手なので、雑談への苦手意識から「人間との対話は全て苦手」だと勘違いしがちなのである。

最後に、仕事ではなるべく「向いていて好きな」ことに特化していくのが良いと思う。当人としては比較的楽な仕事なのに、周りからは感謝されるし頼られるし評価もされやすい。ただし、領域の向き不向きは、その人の好き嫌いとは関係がないこともよくある。「好きだけど向いていない」仕事は熱意でカバーできるのでなんとかなることが多いが、できれば「向いていて好きな仕事」でお金をもらえることが一番良いと思う。

*1:こういった話も今や身体特徴に起因する差別的な話ともとられるだろう