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文字っぽいの。

文字を書いています。写真も混ざります。

「みなさんは今寝ていた講義に2500円も払っているんですよ?」と先生が言うのやめてほしい。

photo by scui3asteveo

もんにょりしたので書く。

国立大学の年間授業料は約54万。概算すると、講義1回分の授業料は2500円ほどになります。

 私立・国立や医学部の違いもあるし、そもそもの算出方法にも多々あって値段に揺らぎはあるが、FacebookTwitterでシェアされる事があるこの言葉。言いたいことはわかる。お金は大事だ。ただ、この言葉を先生方がドヤ顔で使って、「だからちゃんと講義こいや!」みたいな締めくくり方をされると、すごくもんにょりする。

 これは、「子供のやったことですから。」という言葉を、加害者親が使っている時と同じ感覚だと思う。 子供の喧嘩で、A君がB君に怪我させちゃった場合を考えてみる。ここで、A君の親が「申し訳ない申し訳ない……!」って謝っている時に、B君の親が「まぁまぁ、軽い擦り傷ですし、子供のやったことですから。」となるのが、普通の流れだと思う。もしここで、A君の親が「本当に申し訳ない!子供のやったことですから、ここはひとつお許し願いたい!」とか言ってると、あれれ?ってなるこの感じ。

 学生自身が「この講義には2500円払ってるし、ちゃんと学ばねば!」って自主的に思うのは良い。ただ、先生がこの言葉を振りかざして、学生をけしかけるのは何かが違う気がする。「この講義1回でみなさんから2500円ずつ貰っています。40人位いますので、全部で10万円ほどですね。10万円分の価値がある講義が出来るように、みなさんの意見を取り入れながら頑張ります。」とか言ってくれたら良いのに。

 そもそも、「2500円払ったのだから、講義は受けないと損」という考えもおかしい気がしてきた。社会経済学を学べばすぐにわかるけど、この2500円は埋没費用である。埋没費用については、Wikipediaにわかりやすい説明があったので引用する。

2時間の映画のチケットを1800円で購入したとする。映画館に入場し、映画を見始めた。10分後に映画が余りにもつまらないことが判明した場合に、映画を見続けるべきか、それとも途中で映画館を退出して、残りの時間を有効に使うべきかが問題となる。

  • 映画を見続けた場合:チケット代1800円と上映時間の2時間を失う。
  • 映画を見るのを途中で止めた場合:チケット代1800円と退出までの上映時間の10分間は失うが、残った時間の1時間50分を有効に使うことができる。

この場合、チケット代1800円とつまらないと感じるまでの10分が埋没費用である。この埋没費用は、上記のどちらの選択肢を選んだとしても回収できない費用である。したがって、時間を浪費してまで、つまらないと感じる映画を見続けることは経済学的に合理的な選択ではない。途中で退出して残りの時間を有効に使うことが経済学的に合理的な選択である。しかし、多くの人は「払った1800円がもったいない。元を取らなければ。」などと考え、つまらない映画を見続けることによって時間を浪費してしまいがちである。

つまり、いくら「講義1回2500円」と言ったところで、学生がその講義よりも有意義(だと学生自身が思っている)なものを見つけてしまえば、意味がない。「学生にとって、講義を受けることより有意義な事なんかあるわけない!」とも思われるだろうが、残念ながら就活では「すべての講義をまじめに受講しましたか?」とか聞かれないし、その他の自主的課外活動について聞かれることが多い。社会は厳しい。

 ここまで書いて思ったけど、「講義1回2500円」という言葉を使うと、とたんに大学がビジネス寄りになる。しかし、大学という場所は研究機関であり、先生にご教授賜りながら研究を行う場所だ、という考えの方が大多数だろう。ビジネスであるならば、お金を貰っているという責任感をもって、講義の品質を一定以上に保って欲しい。ビジネスでないのならば、お金の話で学生を煽るのではなく、「学生は研究と勉強を第一に考えるべき」という方向性を貫いて欲しい。なんだか、都合の良いところでビジネスライクな価値観と、大学的価値観を使い分けていて非常にたちが悪い。

 なんだか、まとまらなくなってきた。なんにしても、大学という場所は不思議な世界を形成していて、本当に謎である。